視線をおとしながら歩いていると、2本の足が見えた。 目をあげてたどっていけば、そこには茶色い髪の弟の後姿がある。声をかけた。 「コンラート」 弟は驚いたようにふりむいた。茶色の目が丸く見開かれている。 「グウェン……」 グウェンダルはコンラートに歩み寄り、正面で立ち止まった。わずかに緊張をにじませた面持ちの弟は、暗い色にしずんだ木々を背にして立っている。 ふたりは年のはなれた兄弟だったが、コンラートに流れる血の関係で、外見からは年齢の差はうかがえない。むしろ弟であるコンラートのほうが、こころもち背が高いようだった。 兄としての威厳をたもつため、グウェンダルは知らないうちに背を伸ばしていた。 「こんなところで何をしている、コンラート」 「俺は……」 言葉をあいまいにして、コンラートは視線をさまよわせた。「別に。グウェンこそ、何してるんだ。探しもの?」 「ああ。猫をさがしてる」 「ねこ」 コンラートの細い肩が強張った気がした。 ここ数か月、いっぴきの猫が城に居ついていた。 小さくて、毬のような白い猫。怪我をしているのか、それとも生まれつき悪いのか、いつも右後足をひきずっていた。 庭で遊んでいる最中に見つけたらしいヴォルフラムがその猫のことを気に入り、以来飼うというわけではないけれど、ミルクなどをあげてよく可愛がっていた。 「ここ数日姿をみなくなったが、どこにいるかしらないか。ヴォルフラムが心配して泣いてる」 コンラートは落ちつかない様子だった。土に汚れた手を、服でふいたりしている。 「……いなくなったよ」 「どうして」 もじもじとしている足の隙間から、盛りあがった土が見えた。グウェンダルはそれで分かってしまった。弟の顔をのぞきこむ。 「―――死んだのか」 コンラートは戸惑っていたが、うなずいた。 「いつ」 「今朝。ここで見つけた」 視線をあげた茶色い瞳には、銀の星が散っていた。 「ヴォルフラムが随分気にしてたから、俺も早く起きて探してみたんだ。そうしたらこの木の根元で、冷たくなってた」 まだ、子猫だったのに。そうつぶやく弟に、グウェンダルは何も言えない。 コンラートは体をずらして、小さな土の墓をグウェンダルにみせた。墓標のつもりか、細い枝が一本さしてある。 「石で穴を掘って埋めた。どこに連れていけばいいか分からなかったから、ここに」 「ひとりでつくったのか」 「うん」 「なんで死んだんだろうな」 「わからない」 「ヴォルフラムには何て言う」 「……」 隣に立って墓を見下ろしていたコンラートは、しばし口をつぐんだ。いつも何を考えているかわからない、表情のとぼしい顔のしたで、必死に考えをめぐらせているのが読み取れる。 「……黙っていよう」 弟のだした結論はそれだった。グウェンダルは、前髪をかきあげた。 「そうするか」 「ヴォルフは、猫を可愛がっていたから」 「お前も可愛がっていただろう」 「グウェンも」 沈黙がおりる。 風の吹かない林のした、ふたりともこぶしを握って地面をみおろしている。 やがて、コンラートがぽつりと言った。 「俺は、何度か見たから大丈夫」 ―――動物の死。 魔族の死。人の死。父親とよく旅をしている彼は、幼いながらに色々なものを見ているのだろう。 自分は、彼ほど外には出ない。こうやって血盟城に出向いたとき以外は、ヴォルテールの城から離れない。 それでも、この弟の倍も生きているのだ。当然、時計の針が止まる瞬間を、止まった後の姿を、少なからず目にしている。 しかし、末の弟はそうではない。ほんとうに幼くて、真っ白い。今はまだ、優しい母や次兄の背中にしがみつき、すこしだけ顔をのぞかせて世界を垣間見るだけだ。この理不尽な別れに触れれば、きっと彼は衝撃をうけるだろう。 いつかは経験せねばならないことだとわかっている。だが今はまだ、喪失の瞬間をむかえて呆然とした幼い顔を、見たくはなかった。いわば兄たちの勝手な都合である。 「……わかった。ヴォルフラムには秘密にしよう」 「あの猫は根城をかえたらしいと、俺から言っておくよ」 「ああ」 そう言って、ふたたび地面に視線をおろした。浅く刺さっていた枝の墓標が傾いでいる。 ふたりが共有した秘密が、このしたに埋まっていた。 小さな弟の目を、兄たちがふさいで隠した秘密。 コンラートは地面のうえにしゃがんで、土の小山に手のひらをあてて形を整えていた。グウェンダルはうしろに立って、茶色の小さな頭を見下ろしている。 独り言のようにつぶやいた。 「……死んでしまって会えないのと、生きているけど会えないのと、どちらがひどいことなんだろうな」 弟が弾かれたように顔をあげた。傷ついた目をしていた。 |