フラッシュ。
 
 数秒後、鉄の板にたらいが落ちたような音がひびいた。
 それを合図にしたかのように、雨の音がいっそう激しくなる。
 空では真っ黒な雲が、蒸気機関車のように猛スピードで突っ走っていた。ボーッ、と強い風が時折木々を揺らす音が、汽笛がわり。
 
 廊下をひとり歩いていた魔王の少年は、窓のそとをちらりと見ると、口笛をふきはじめた。ポケットに手をいれて、足取り軽く、石づくりの床をあるく。
 ふたたび、フラッシュ。窓に勢いよく雨が吹きつけ、金だらいが幾つも落ちた。
 
 ―――ゴロついてるゴロついてる。かみなりさま、絶好調?

 彼の唇がかなでるメロディは、『あめあめ降れ降れもっと降れ』。
 何度も閃光を浴びた歌手の横顔は、すこぶるご機嫌だった。


 
「グーレーター」
 扉をあけるなり、ユーリは満面の笑みで愛娘の名前を呼んだ。部屋をひととおりみまわすと、スキップしそうな勢いで、奥の寝台へとむかう。
 人の気配を感じて、ユーリは破顔した。
「やっぱ来てるな。カミナリすごいもんなー、ゴロゴロしててこわいよなー、よっし俺が一緒に寝てやるから安心……あれ?」 
 ベッドのなかに小さな少女の姿はなかった。
 代わりにネグリジェ姿の自称・魔王の婚約者が、尊大な態度で横たわっている。
「なんだユーリ。カミナリなんて怖いのか。よし、僕が側で一晩中子守唄を歌ってやるから安心しろ」
「いやいやいや待て待て。―――なあ、グレタは? グレタ来てねえの?」
 咳ばらいをしてのどを整えている婚約者を慌てて止めつつ、ユーリは先日城に帰ってきたばかりの娘の行方を尋ねた。
「グレタ? ここには来てないぞ」
「えー……そっか」
「どうした。何かあったのか」
 がくりと肩を落とした少年に、ヴォルフラムは体を起こして眉をひそめた。
「いやー、ほらさ。かみなり鳴ってるだろ?」
 ユーリは顔をあげ、カーテンのかかった窓を指さす。
「ああ。知ってる」
 言ってるそばからふたたび、腹にひびく盛大な音が空気をふるわせた。
「俺はてっきりさ」
 ユーリは組み合わせた手を頬にあてて、ちょっとだけ首をかしげた。夢見がちな黒い瞳に星が浮かんでいる。
「ユーリ、お空がゴロゴロしてるよ! ドカーン、ピカッて空がひかるの。グレタこわいよー。ね、いっしょに寝ていーい……?」
「……」
「って、言ってくるかなあって思ってさあ! こういうのってやっぱ、パパと娘にとっては外せないイベントじゃん? ―――ってなんだよその細めた目は」
「呆れてるんだ」
 寝具をかけて本格的に眠ろうとするヴォルフを横目に、ユーリは喋りつづけている。
「ああでもでも、グレタも怖い気持ちをなんとか我慢して、ひとりで頑張ってるのかもな。父親甘えから卒業しようと、涙をこらえてひとりで枕をかかえて部屋にいるのかも……けなげだな! な! なんだよプー、寝てるのかよう」
 ユーリはベッドのなかで丸まっているヴォルフを揺さぶった。
「うるさい。お前の下らん妄想につきあってられるか」


「ユーリー」
 ドアがバタンとひらき、幼い少女の声がひびいた。ユーリもヴォルフラムもベッドから飛び起きる。
「ユーリ、起きてた? ……あっ」
 少女は小さな手で口をふさぐと、数歩もどり、ドアをノックした。
 そしてユーリとヴォルフの顔をくるっと見上げる。
「ユーリ、ヴォルフ、こんばんは!」
 ユーリは娘の仕草のあまりの可愛さに、とろけそうな笑みを浮かべた。
「ああ、こんばんは」
「こんばんは、グレター」
 ユーリはかがんで、グレタに目線をあわせた。
「どうしたんだ、こんな遅くまで起きてて。もしかしてグレタ、カミナリ―――」
「グレタ、カミナリ見てたの!」
 元気いっぱい答えるグレタに、ユーリがえっ、と笑顔のまま声をだす。
「ゴロゴロしてて面白いから、カーテンあけて、お部屋暗くして見てたの」
「そっかー」
 ユーリは笑顔のまま言葉を一度切り、そして言った。
「グレタは、カミナリ怖くないのか?」
「怖くないよー。面白いもん」
「そっかー」
 後ろでくすくすと笑っている声がする。ユーリは肘でヴォルフラムの脛をこづいた。
「それで、もうカミナリ見るのやめちゃったのかグレタ。それとも俺と一緒にカミナリ見にきたの?」
 ううん、とグレタは首をふる。
「ユーリを見にきたの」
「ええっ、俺?」
「うん。ユーリがカミナリ怖がってるんじゃないかと思って、来たの!」

 がくっ。

 とうなだれるユーリの後ろで、ヴォルフラムが爆笑している。注意する気力はなかった。
 ヴォルフラムは目じりをぬぐいながら、言った。
「くっくっく、グレタ、ユーリはへなちょこだから、カミナリが怖くてたまらないんだそうだ。だから、一緒に寝てやってくれるか」
「ヴォルフ!」
 情けない声をだす魔王のまえで、少女は人差し指を唇にあて、思案顔になった。
「うーん……それはダメ」
「ええっ、なんで」
 両手を中途半端にあげたまま振りかえる。
 きっぱり断られるとショックだ。
「本当はグレタ、ユーリと一緒に寝てあげようと思ったんだけど。アニシナが、男を甘やかしちゃいけないっていうの。だから、今日はテイサツだけしにきたの」
 雷鳴に勝るとも劣らない、赤い魔女の存在感ある笑い声が、頭のなかでひびきわたる。
「アニシナさんと一緒にいるんだ……」
 うん、と元気よくうなずく。そして少女は顔を輝かせ、夢見がちな瞳をして言った。
「アニシナは色んなこと教えてくれるよ。カミナリは、ホウデンゲンショウのひとつなんだって。地面と雲が電気でつながって、ビリビリしてるの。すごいよね!」
「ああ、すごいな」
「……すごいな」
 ヴォルフラムにつづき、力なく相槌をうつ。そしてしみじみと思った。
 親の知らぬ間に、子供は成長するものだ、と。
 愛娘はとっくにパパ甘えを卒業して、自分で人生の新たな師を見つけているらしい。
 
 別れ際にさりげなく、将来の夢はなんだいと聞いたら、毒女! という返事がかえってきた。パパはかなしかった。

「毒女め……」
 バタン、と閉じられた扉のなかで、ユーリは四つん這いになってうなだれていた。
 そんな魔王を見ながら、婚約者は腕組みをして、何故か機嫌よさそうに笑っている。
「ふふん。悔しがってないで、お前もはやくグレタから卒業することだな。へなちょこダメ親父め!」



top


2005.03.20